引用

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終末の思想

とりあえずこのブログの更新も残すところあと一回となりました。

もともとブログをスタートさせた5月22日の時点ですでに
自分が7月半ばに日本を離れることがわかっており、
いわばゴールが見える状況下で走ってきたことになります。
だからこそ、毎日続けることができたのでしょう。そう思います。

よくマラソンのランナーが
「あのカーブを曲がったところまでは走ろう」とか
「あの電柱の立っているところまでは走ろう」とか
心のなかで念じているうちに
いつの間にかゴールまで辿り着くように、
他人が用意した「42.195km」とは異なる、
自分なりの「とりあえずのゴール」を持っている人は
やっぱり強いだろうな、と思います。

そういえば、宇多田ヒカルさんの歌のなかにも
「タイムリミットの無いがんばりなんて続かないよ」
というものがありましたっけ。

結局、人間の生なんてものは有限であり、
その事実を見据えたうえで、それをいかに埋めていくか。
それが大事なんだなあ(なんで相田みつを風になるんだろう)。

Vita brevis, ars longa,
o ccasio volucris,
experieutia periculosa,
judicium difficile

人生は短く、学芸の道は遠し
機会は縛き逃れ、
経験は滅び易く、
判断は難し

芸術のことは・・・

なんでもないことは流行に従う、
重大なことは道徳に従う、
芸術のことは自分に従う。
(小津安二郎)

アメリカのデモクラシー

民主的な時代には貴族的な世紀より享楽は盛んであり、
とりわけこれを好むものの数が限りなく増える。

だが、他方、そこでは希望と欲求はなかなか実現せず、
魂は一層揺れ動いて落ち着かず、
心の悩みが激しいことは認めねばならない。
(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』)

 

こういうのを「慧眼」というのだろうな、きっと。

The Intellectuals and the powers

どのような社会にも、
聖なるものに対して異常に敏感であったり、
また、宇宙の性質や、社会を律する規則について、
一風変わった考察をする人間が、かならず存在するものだ。

どのような社会にも、仲間との日常的ないとなみに飽きたらずに、
日常生活という直接的で具体的な状況よりも普遍的な、
そして時間的・空間的にも
遠くへだたったところにあるシンボルについて、
感心をもち、またそうしたシンボルと交感するのを望む
少数の人間がいるものだ。

こうした少数派のなかに、探究の成果を、口伝えなり
文字化された言語によって、あるいは詩的もしくは
造形的な表現によって、あるいは歴史的回顧なり記録によって、
あるいは儀礼的パフォーマンスや崇拝行為によって、
外面化して伝えたいという欲求が生まれる。

直接的で具体的な経験の彼方に突き進もうという、
この内的欲求のあるなしによって、
どのような社会の知識人も一般人と区別されるのである。
(Edward Shids “The Intellectuals and the powers“)

ショートホープ

「《景気回復の兆し 光見えてきた》か。君に光が見えるか?」

そういってゴトウさんは
読んでいた経済新聞をゴミ箱のなかに捨てた。
もっともゴミ箱のなかは
すでに他の人間の捨てたゴミで溢れ返っており、
そのゴミの山のうえに被せるようなかたちで
ゴトウさんはそれを捨てたのだった。

われわれはその日の作業をやり終え、
園内にあるベンチに腰掛けたまま一服していた。
僕は空になった缶コーヒーをなんとなくもて遊びながら、
眼前に広がる池のほうを眺めていた。

陽の光が反射して白く輝いた水面は、
よく磨かれた鏡の表面のような光沢を放っていた。
そしてそこに無数の棒が突き刺さっていた。
それは枯れた蓮の茎であり、
すっかり色褪せたその集団は穂先のない麦畑のようだった。
それは作物の育たない荒廃した土地を僕に連想させた。

池はその体内に並々と水を讃えていたが、
そこからなにか新しいものが生まれてくるとはどうしても思えなかった。
ところどころ打ち込まれた杭のうえで、
渡り鳥たちはしばし羽を休めていた。
長旅をしてきた彼らにとって、
それはつかの間の憩いの時間だったわけだ。

僕はなかでも「つり禁止」と書かれた
看板のうえで休んでいる一羽を眺めていた。
そいつは一目でわかるくらいでっぷりと太っていて、
本当にこいつはこんなことで空を飛べるのだろうかと
こちらが危惧するくらい、丸まって見えた。

しかしそんなことは余計な心配だったのだろう。
飛び立つべき時が来たならば、飛び立たなくてはならない。
そこで飛び立てないということは、
すなわち死を意味しているからだ。
好むと好まざるとにかかわらず、自然とはそういうものなのだ。

結局、僕がその鳥の飛び立つところを見ることはなかった。
その前にそのベンチを離れたからだった。
                   (『ショートホープ』)

Everyman, everywhere

科挙の弊害は今日ほど甚だしいものはない。
科挙を受験しようとする者は
五経通鑑・左伝・戦国策などの書物を必ず読んで備える。

しかし、合格してしまえば読まなくなるし、
受験勉強中、あるいは出仕してからも
他の書物を読まない。
さらには、合格者の文章を暗記して雷同してしまう。

・・・・・・こういう人間が
国家の様々な問題にどうして対処できようか。
徒に天の生民に対して苦しみを与えるだけなのだ。
しかも、この手の輩の無用ぶりは
因循して救いようがない。
(黄宗義「科挙」 賀長齢編『皇朝経世文編』収録)

 

ご存知の通り、科挙というのは随代にはじまり、
1905年に廃止されるまで続いた
中国の官吏登用試験のことです。

そして筆者である黄宗義がこの文章を書いたのは
17世紀、つまりいまから実に400年近く前。

しかし時代と場所こそ違っているものの、
このような状況はなにも珍しいものではなく、
実際21世紀の日本国内でも見受けられることです。

なーんだ、どこの国でも抱えてる問題は同じなんですねと
笑い話にしたててしまうこともできないことはないけれど、
しかしこれはやはり笑うに笑えない、ですよね?

人生の意味

人生はどこに行っても人生なのだ。
それは私たちの中にあるので、
私たちを取巻く外界にあるわけではない。
わたしのまわりには人々がいる。
その人々の間で一人の人間であること、
どんな事情があろうと永久に人間であり続け、
挫けないこと、倒れないこと。
これこそが人生、これこそが人生の真の意味なのだ。
わたしにはそれがわかった。
この考えは私の血となり肉となった。
(ドストエフスキー)

沈黙

国々をさまよってゆくのが私の運命であり
呪わしい追憶は去ることはないが
ただ、どのようなときも、
すでに最悪を知り尽くしたと思う
そのことが、残されたひとつの慰めなのだ。

ああ、なおも黙すのか、すべて黙すのか
いな、――死者の声々が
はるかな激流のとどろきのようにひびき
そして答える――「ただ一人の生者よ、
ただ一人よ、立て、――われらは従うであろう」と
黙しているのは、ただ生者であったのだ。
(バイロン)

 

秋葉原通り魔事件で被害に遭い、
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

つもり違い十ヶ条

高いつもりで低いのは教養
低いつもりで高いのは気位
深いつもりで浅いのは知識
浅いつもりで深いのは欲
厚いつもりで薄いのは人情
薄いつもりで厚いのは面の皮
強いつもりで弱いのは根性
弱いつもりで強いのは我
多いつもりで少ないのは分別
少ないつもりで多いのは無駄
 (薬王院「つもり違い十ヶ条」)

「お前さ、村上春樹の『羊をめぐる冒険』って読んだことあるか?」
出し抜けにシープ軒のオーナーが尋ねてきた。
われわれはそのとき、
店の奥にある従業員専用の部屋で向かい合ったまま座っていた。
「なにをめぐる冒険ですって?」
よく聞こえなかったのでわたしは問い返した。
「羊だよ、ひ・つ・じ」
オーナーは一語ずつ句切って発音した。わたしは首を振った。
「最近の若者はなんにも知らないから困るんだよなあ」
「不勉強ですみません」
オーナーにそういわれてわたしは平謝りをした。
「まあいいや。で、そのなかにな、
乳房の大きな女が出てくるんだよ。
いや、ヒロインじゃない。脇役ですらないんだ。
たしか主人公がホテルの窓から外を眺めていると
向かいのオフィスかなにかで
その女が働いているのが見えるとか
そういったシーンだったと思うんだけど、
とにかく巨大な乳房をもった女。
ゴールデンゲート橋のワイヤー・ロープを使った
ブラが必要なような女だ。お前さ、どう思う?」
「どうって……」
「巨乳は嫌いか?」
わたしが口ごもっていると、
オーナーは意地悪そうな微笑を浮かべた。
まったく、嫌な大人である。
「嫌いじゃないですけど……」
わたしはしどろもどろな調子でそう答えた。
二十代も後半戦を迎えてなお、わたしはうぶな性格なのだ。
「たぶんさ、その女は自分の胸を持て余しているんだろうな」
うめくようにしてオーナーがいった。
「本にそう書いてあるんですか?」とわたしは尋ねた。
オーナーは首を振りながら
「いや、書いてねえけどさ。
書いてねえけど、なんとなくそう思ったんだよ。
この女はきっと自分の大きすぎる胸を持て余しているんだろうなって」
「ふうん」
そこでふたりは押し黙った。
オーナーが再び話しはじめるかなと思っていたが、
オーナーはなかなか口を開こうとはしなかった。
そこでわたしが話を続けた。
「でも、もしかしたらその女は
自分の胸と割合うまくやっていけてるのかもしれませんよ」
わたしがそういうとオーナーは少しだけ嫌な顔をした。
間違ったものを飲み込んでしまったときによくやるような表情だ。
「そりゃ、あんまり大きいといろいろと支障が出てくるのかもしれません。
肩だって凝るだろうし、変な男がいい寄ってくるかもしれない。
でも、それだって訓練次第でなんとでもなるんじゃないですか。
そもそも胸だって自分の体の一部ですからね」
わたしがそういい終えてオーナーのほうを見たとき、
彼は拗ねた子どものように唇をとがらせていた。
しまった、やりすぎた。そう思ったがすでにあとの祭りだった。
「そうかなあ」
オーナーはやっとのことでそう呟いた。
「まあ、僕は男なんでそこらへんのことはわかりませんけど」
わたしは助け舟を出した。オーナーの顔がほんの少しだけ明るくなった。
単純な男だ、とわたしは心のなかで呟いた。
「そうだな、うん。女のことは俺たち男には一生かかってもわからんよ」
そういうと再びわれわれは黙りこくった。
「しかし、俺も一度でいいからなにかを持て余す経験をしてみたいもんだ」
しばらくしてからオーナーはそう呟いた。
                        (『サンキュー、グーテンベルク』)

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susami

susami
1985年香川県生まれ。
現在、埼玉県在住。

連絡等は
*mail@susami.net*
まで。

http://www.susami.net

 

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